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多摩美シアタープロジェクト びびび vol.2『大工』 開幕記念!

特別鼎談◆柴幸男×近藤良平×坂本美雨

聞き手:加納豊美(多摩美術大学演劇舞踊デザイン学科教授・舞台衣裳家・衣服文化研究者)

左から、坂本美雨、柴幸男、近藤良平

出会いから家族ぐるみのおつき合いまで

[加納]

まず、最初の出会いから教えていただけますか?

 

[坂本]

柴さんとは、2012年に上演した音楽劇『ファンファーレ』で。

 

[柴]

そうですね。□□□(クチロロ)の三浦康嗣さんが美雨さんを推薦してくれて、オーディションに来ていただきました。それが初対面というか、初接触というか。

 

[坂本]

三浦康嗣くんと仲が良くて、彼が新しい舞台に関わるらしいと誘われました。演出家が3人(柴・三浦・白神ももこ)いて、どうなるのか誰も何も分かっていない状態で...。でも舞台はすっごく好きだしダンスも好きだし、新しいことにワクワクして、何でもやりますという感じで参加しました。

 

[加納]

世田谷パブリックシアターの意欲的な企画でしたね。当時めきめきと頭角を表してきた演劇作家たちをひと束にするという、“青田刈り企画”(笑)

 

[柴]

見切り発車すぎましたよ、あの企画は。

 

[坂本]

よくやったよね〜。

 

[柴]

その時にお芝居を一緒に作らせていただいて、仕事はそれだけです。

その後、家族で一緒に桜を見た記憶が...。

 

[坂本]

そうだね。お互い子どもが生まれて、たぶん赤ちゃんを連れて桜を見たよね。

 

[柴]

同い年なんです、私の長男と美雨さんの娘さんが。

 

[坂本]

『ファンファーレ』で、名児耶ゆりちゃんと同じ役の違う年代を演じたんです。幼少期がゆりちゃんで、成長した姿が私、間がファーストサマーウイカ!

※柴は名児耶ゆりさんと後に結婚

 

[加納]

そこで柴さんは恋にも落ちて、忘れられない公演に...。

 

[柴]

恋というか、まあ家族ができました、という感じですね。

 

[坂本]

そういうのもあって家族ぐるみです。ゆりちゃんのSNSで子どもが増えていく様子とか、直接お会いしてはいないけど、すごく親しみを込めて見ておりました。

 

[加納]

なるほど〜。良平さん一家とも、家族ぐるみのおつき合いがあるそうですね?

 

[坂本]

最初は25歳の時に、私がワークショップの扉を叩きました。めぐろパーシモンホールの。

 

[柴・加納]

えぇ〜〜〜〜〜!

 

[近藤]

ワークショップに来たんですよ、急に。思い出した、雪の日だったよね?

 

[坂本]

すっごい雪の日で、スッコーンって転んだ(笑)

私は10代から歌をやっていて、自分にあらゆるものが足りないと模索していた20代半ばでした。ダンス、体、肉体性が私には足りないなと思って、いろんなダンスを観に行ったり、ワークショップを受けたりしていましたね。コンドルズの良平さんを観た時に、この人に習いたい、一緒に何かしたい、って思って「私のプロモーションビデオに出てください!」ってアタックしたの。

 

[近藤]

変わってますよ、だから(笑)

 

(一同、笑)

 

[加納]

良平さんは、美雨さんが参加されたのは覚えていますか?

 

[近藤]

覚えてる、覚えてる。怪我して来たし。

 

[坂本]

あはは! 滑ってね(笑)

 

[加納]

そこで出会って、ミュージックビデオのオファーまではどのくらいの時間がかかったんですか?

 

[坂本]

たまたま帰りが何人かと一緒になって、電車の中で「今ちょっとこういう曲作ってて、出てもらえませんか?」 って。

 

[加納]

で、即答?

 

[近藤]

「いいよ!」って。

 

[坂本]

アートディレクターの森本千絵ちゃんと作ることが決まっていたので、そこで初めて良平さんと千絵ちゃんと私で、クリエイションが始まりました。

 

[近藤]

水を張った床に映像を映して、僕がその中で踊って、最後に美雨ちゃんが入ってきて。かなり素敵な映像だよね。

 

[坂本]

うん。今はミュージックビデオにあんまりお金をかけられないけど、当時はまだ少し、大掛かりなクリエイションができた時代だったのかな。

Miu Sakamoto - The Never Ending Story (MV)

それぞれの家族観

[加納]

柴さんは今回、10年前の初演よりも、“家”とか“家族”っていうワードに注力したとおっしゃっていましたね。

 

[柴]

『大工』は、多摩美で私が教えるようになった2016年に書きました。当時3年生だった学生たちが授業時間を使って創作して、学校の中にあるスタジオで発表するというものです。

当時、私にはまだ東日本大震災の意識があって、震災と家とか、国家と家とか、そういうことを考えて作りました。

今年この<びびび>で何かやることになり、『大工』をもう一回やりたいなと思いました。初演当時、1人だけだった子も今は3人になり家族が増えて、あらためて戯曲を読んで、「家族の話なのかなぁ」と。少しだけ台本を書き直して整えたんですけど、国家とかそういう大きい話よりも、「家族って何なんだろう?」みたいなところを、もう一回自分事として、作り直しています。

[加納]

疑似家族的な人たちもいれば、血の繋がった家族もいるし、いろんなフォーメーションの家族がいろいろ登場します。作中では基本なかなかうまくいかないというか、成功例がほぼない、みたいな状態ですよね。

 

[坂本]

成功例はほぼないけどね、実際。

 

(一同、笑う)

 

[柴]

そうですよね。今の自分も正解ないよなと思います。

 

[坂本]

私は、生まれはけっこうバラバラな家族なんです。きょうだいは4人で、それぞれ親の組み合わせが違っていて、基本は母とお兄ちゃんと私でニューヨークで暮らしていて、父はまた新しい家族がいて。

でももう大人になって、きょうだいみんな会えるし仲もいいし、親の組み合わせが違うこともあまり意識せずに育ってきたんですよね。

今は年も重ねて、ほんとに家族みたいな友人にも巡り会えています。約束もほとんどなく、「ただいま〜」ってピンポンして、ごはんを食べるお家があったりして。そこの家主は男性2人で住んでいる家族で、だからそこも新しい形の家族だし、そこに集う人たちの中には男女のご夫婦もいるし、子どももいたり。ほんとにバラバラな人たちが集っていて、きっとこのままホームみたいになっていくのかなと思います。

そういうふうに、一緒にごはんを食べて、大変な時には身を寄せ合っています。東日本大震災の時もそういうふうに身を寄せ合いましたけど、コロナの時はやっぱりちょっと違って、血の繋がりのある家族といなきゃいけないみたいなことがありました。でもそういう血の繋がりのない家族の形が、もっと法的に認められたらいいなと思っています。

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[柴]

近藤さんの家族観は、どういう感じですか?

 

[加納]

「こんどうさんちのたいそう」って、作品にまでなってるじゃないですか。

 

[近藤]

僕は小さい時に南米に住んでいたから、日本人の家族観とか家族という単位がちょっとよく分からなくて。家族は日本語をしゃべるけど、周りはスペイン語だし。「家族って何だろう?」って、あんまり思ったことはないかも。日本に帰ると急にみんな同じになるから、その不思議な感じはよく覚えてるね。

 

[坂本]

日本はやっぱり、家族、そして親戚、みたいな。

 

[近藤]

でも日本でも、見事に親戚付き合いがないんだよね。だからお歳暮みたいなのもない。

 

[坂本]

法事は?

 

[近藤]

ほんとに何にもしてない。

 

[柴]

へ〜。お墓参りとかは?

 

[近藤]

今は父のお墓参りに行くけど、僕はほとんど関わってないですね。すごい不思議な感じ。

美雨ちゃんもそうだけど、犬とか猫とか動物を飼ってるのね。だから家族っていうのは、血の繋がり云々より“一緒に暮らす”っていう感覚がありますね。

家族という“スペース”

[坂本]

柴さんは書きながら、自分にとってこれが家族だっていう答えが出たんですか?

 

[柴]

さっき稽古を観ていただいた第4楽章で、「血の繋がりじゃなくてスペースだ」って棟梁(という名前の登場人物)に言わせちゃったんですけど。同じ空間に一緒にいれば血の繋がりがなくても、それこそ別に人間じゃなくても、家族にはなっていけるというか、なっちゃうというか。それがひとつの空間に一緒にいるってことなのかなと思いつつ、でもスペースは“宇宙”っていう意味もあるから、無限の広がりもあって。答えではないんですけど、おっしゃる通り血ではないだろうなとはやっぱり思うので、じゃあ何なんだろうなと...。

 

[近藤]

面白いよね。スペースって言わせるとこがいいよね。

 

[坂本]

人類がこの地球というひとつの空間の中で、家族のようにできたらいいのに、という願いを感じましたね。だって宇宙からしたらさ、こんな特異な生き物が身を寄せ合って巣を作って一生懸命生きててさ、何をそこに線なんか引いてんだっていう。バカバカしくなるね。

 

[近藤]

でもさ、急に宇宙人が現れたらなかなか家族とは言えないよね。生きてた! って思ってもダメだな...

 

[坂本]

2年ぐらい一緒に暮らしたらでも...

 

[近藤]

まあそうか(笑)

 

[柴]

一緒に暮らすのが大事ですね。暮らしているうちに、気の合わない地球人より気の合う宇宙人が見つかってくると、だんだん人も惑星も超えていく感じがあります。

 

[加納]

スペースという言葉で、血縁も含めて線やボーダー的なものが、一回パーンと取り払われる感じがしますよね。

 

[坂本]

急にドローンがふっと、すごい上の視点に行くみたいな効果がありますね。

 

[柴]

昔ながらの演劇の作り方とか考え方だと、どうしてもこう家族っぽくなっていくというか、演出家とか座長みたいな人が父親役っぽくなっていって、演劇って疑似家族的に稽古しているなっていう感覚があります。嘘で家族を演じるとか、嘘で恋人を演じるとかっていうことは、映像や映画でもあることだけど、決まった時間に毎日みんな集まって、1ヶ月一緒に過ごしちゃうと、錯覚が起きてきちゃうと思うんですよ。それが良い時も悪い時もあるけど、そういう演劇は自覚的にやめていこうと思いました。別に家族ではないだろう、と。

 

[坂本]

『ファンファーレ』はバラッバラだったよ。最後まで家族にはならなかった(笑)

 

[柴]

ならなかった。みんなバラバラな人たちでしたね。

 

[坂本]

コンドルズは家族感、ある?

 

[近藤]

家族とかみんな言葉では言わないけど、実質やっぱり一緒にいる時間が長いから、離れていても近づいても、距離感を知ってる。やっぱりあいつに何かあったら気になるし、みたいなそういうのはあるね。家出してもまた帰ってくるかな、みたいな。

 

[坂本]

そうだね。コンドルズはそういう信頼を感じる。

このカンパニーでは、最初に家族についての想いを話し合ったんですか?

 

[柴]

話し合いはしなかったですね。個人個人かなりバラバラだし、その人の生きてきた感じに直結しているから、別にそこを稽古の時間で交換し合わなくてもいいかなと思って。

ただ、毎日稽古の始めにみんなで調子がいいか悪いか話していく<調子の確認>をするんですけど、そこで漏れ聞こえてくる家の情報というか、家族情報があるんですよ。

 

[近藤]

ぶつぶつみんな言い始めるわけ。今日朝は何とかだったとか、今日は髪が乾いてないとか。毎日繰り広げられて、その人と家族みたいなものが見えそうな感じだよね。

 

[加納]

あの稽古の始まり方は、いつ頃からですか?

 

[柴]

『ファンファーレ』の頃はやっていなくて、5、6年前くらいからじゃないですかね。

朝から明らかに調子悪そうな人がいたりするじゃないですか。単純に具合が悪いのか、昨日落ち込むことがあったからなのか、理由はこっちからは察せられないし、その人の様子を伺いながら稽古するのが、すごく疲れる感じがあって。本当のことを言うかどうかは別としても、調子が良いか悪いかだけみんなで先に言い合っておけば、お互いのいらない気遣いが減って、楽になるかなと思ったんです。練習がうまくいかなくても、まあ今日は調子悪いし、みたいに気が楽になるし。

 

[坂本]

それいいかもしれない。会社とかでもやればいいのに。調子悪い日があったって別に良いわけだからね。

 

[近藤]

会社とか、家族でもあってもいいよね。

 

[柴]

学生たちはけっこう、基本的にみんな調子悪いですよね。睡眠がうまくとれませんでしたとか、変な時間に目が覚めて眠いですとか、心配しますよね、あれ(笑)

 

[近藤]

本気な感じするしね。

昔だったら学校とかで、人前で弱っているのは見せちゃいけない、っていう雰囲気なかったですか?

 

[加納]

昭和の子どもはあったかもしれないですね。

 

[近藤]

なんとなく、姿勢正せ、じゃないけど。

 

[坂本]

ここに持ち込んではいけない、みたいな?

 

[近藤]

そうそう。それを思うと何か、変わったなと思う。

若者たちとの関わり

[柴]

美雨さんは、大学生ぐらいの人たちと関わりってありますか?

 

[坂本]

あまりないですね。友達の中には子どもがもう大学生くらいになっている人もいて、同じ場に居たりすることはあるけど。だからさっき稽古を拝見して、私にも、もう大学生くらいの子どもがいてもおかしくないんだなって、改めて思いました。

 

[加納]

共演している良平先生はいかがですか、学生の感じ。

 

[近藤]

野放しにしておくと、すごい奇声を発している。みんな喋る速度感が早いね。

 

[柴]

普段の日常会話がってことですか?

 

[近藤]

そう。要は世代が違うんだと思うんだけど、それが普通なのか若干わからないぐらい早くて。あと省略系でものを喋ってる感じが多いね。

 

[柴]

そうですね、バサキとか(笑)

 

[坂本]

バサキとは...

 

[近藤]

そう思ってるうちにもう次の話してるから、話がよくわからない。それをまとめて今、奇声って言っちゃったんだけど(笑)

 

(一同、笑う)

 

[柴]

私、吸収してます。バイト先のことです。

 

[坂本]

バイト先!

 

[柴]

バイト先を略してバサキって言うんですよ。私も最初「バサキって何ですか?」って聞きました。

 

[坂本]

この間「したともしてくれます?」って言われて、ググったらSNSとかの親しい友達設定のことだったの。知らなかった〜。

 

[柴]

へぇ〜〜〜。

最近は、2秒ごとに動画を撮っていくsetlog(セットログ)が流行ってますよね。誰々が遅刻でいませんってなると、「でも朝の4時にセットログあげてます!」「じゃあ寝てんのかな、起こしてあげて」みたいな(笑)

初演の1期生、10年前の20歳、21歳とも、ジャンルが変わっているというかまた違う感じがしていますね。まあ、私がただ遠ざかっているだけとも言えますけど。

 

[近藤]

どっちもあるんだろうね。

 

[柴]

新しい生き物になってる感じ。

 

[近藤]

そうなんですよ。全然悪い意味ではなくて。なんか真実を求める感じはまたね、一緒にやってると、ちゃんと向かってくれるじゃないですか。

国家と家族

[加納]

家族と呼びたい人、呼ばれたい人、呼ばれたくもない人、いろんなパターンの家族がいて、それぞれが属している家族や家のあり方が違いますよね。家族になるとか一緒に暮らすとか、それをハッピーと捉えるかアンハッピーと捉えるか、今回の作品はしっかりグラデーションがあります。お三方それぞれにとっては、家族になろうって言われたら嫌な相手はいますか?

 

[坂本]

仲がいい友達とか、すごく尊敬している人でも、家族になりたいかというと、そうじゃない人もいますよね。家族って、自分の一番だらしないところとか、情けないところも見せられる関係だから。単に好きとか尊敬しているということとは、またちょっと違うのかもしれないですね。

 

[近藤]

そうだね。僕ちょっと違うことを思ったんだけど。

人から前に聞いた話で、イヌイットの北極の方では、家族と家族は一緒のところに住まないんだって。自然の強さが凄すぎて一緒にいると全滅しちゃうから、離れた違う村で生きてるんだって。今はそういう習慣はないらしいんだけど、おばあちゃんおじいちゃんになってとある年齢になると、自分で家族からいなくなる自主姥捨みたいな、そういうのがあったらしい。話を聞いたとき、びっくりしたんですよ。そういうふうな人の一生の暮らし方が、あるんだなって。

 

[坂本]

家族というものが、生きていくことにもっと切実に結びついている地域や環境もあると思うんです。私たちが今、「血のつながりだけが家族じゃないよね」と言えるのは、もしかしたら、そういうことを考えられる平和な環境にいるからなのかもしれないですね。

家を建てたり奪ったりっていうシーンを観たら、やっぱりパレスチナのことを考えちゃった。パレスチナ人はずっと、種や歴史を断たれようとしていた民族だから。ガザの⼈たちは、停戦しているはずの今でも爆撃が続いているけれど、その中で家族を作りできるだけたくさんの⼦どもを産もうとしてる方が多い。私が連絡を取り合っているアフメッドという青年も結婚が決まって、家族になるんだって⾔って、やっぱりテントを建てていてね。資材はないからテントで、どこからか便器を買ってきて、人よりはちょっと立派なテントを今、一生懸命建てているところなの。だから稽古を観ながら、ガザの家族のことも考えましたね。親戚30人くらいで、1つの壊れかけの住宅に住んでいる家族もいるし、とにかく子どもを産んで家族を増やすっていう、ずっとそうしてきたんだなっていうことを、考えちゃう。

 

[加納]

今回、第九、大工、棟梁、大統領、国家っていう言葉の連鎖があって、国家っていうのは確かに“国(くに)家(いえ)”って書くなと、あらためて思いました。私は国家権力に家族だよって言われたら、逃げ出したくなる(笑)

描かれている題材もいろんな角度だし、それを作る人も観る人も様々だし、すべてが何かの暗喩のように感じてしまう芝居ですね。

 

[坂本]

本当にいろんな要素を組み込んで、しかもそれがベートーヴェンの第九と連動してるっていう、すごい作品ですね。

 

[加納]

ベートーヴェンが引っ越し魔で良かったね。

 

[柴]

そうなんですよね。ベートーヴェンは70回くらい本当に引っ越ししてるんですよね。

家族もできず結婚もできず、甥っ子を養子に引き取ろうとしたけどそれもできなくて、結局一人きりで亡くなっている。

 

[近藤]

本当に何も残ってない。何とも言えない、すごいよね!

 

[柴]

たまたま『大工』を書こうと思った時に調べて、あ、そうだったんだ、面白いなって思いました。

 

[坂本]

面白いね。ほんとに宿借状態。

 

[近藤]

たまたま今日新聞で読んだんだけど、江戸川乱歩も40回くらい引っ越しをしていて、引っ越し魔って書いてあった。人との関わりがうまくできなくてずっと引っ越しをし続けて、最終的に立教大学の近くの、あそこのぐらいの時に何かが変わってそこに落ち着いて、町内会もやってたらしいよ。

 

[柴]

え、町内会? そんなことあるの(笑)

 

[坂本]

そうなんだ〜。

交響劇としての『大工』

[加納]

俳優たちにとっては音楽が共演者の“交響劇”ですが、音楽というところから今回の作品について何か思うところを。

 

[坂本]

そもそも10年前にどうやって書いたのかな。曲を聞きながら、このパートをこの展開にしようとか決めて?

 

[柴]

そうですね。例えば第二楽章は同じフレーズが3回くらい出てくるので、3回同じ展開で同じキャラクターが登場するようにとか、曲の盛り上がりに向けて会話も盛り上がったら面白いかなとか、台詞を音色として捉えて、ずっと曲を聴きながら書いていましたね。

 

[坂本]

俳優さんたちのテンポ感とかタイミングも、曲に合わせて?

 

[柴]

そうです。他の先生方に「聞き込みが足りない」とかって言われて、一生懸命音源を聞いたり、第九をかけて台詞をなくして踊るようにやってみるとか、そうやって稽古で曲を馴染ませていきました。

 

[近藤]

かなり変態ですよ。

 

(一同、笑う)

 

[近藤]

だって、交響曲に芝居入れたりする人、そんなに多分いないと思うよ。ダンスは曲があって、いろんなシーンがあって曲に従ってシーンを作ってその曲を扱うっていう、僕もやってるしその感覚はあるけど。そこに台詞が入り情景が入りちゃんと意味が通るってことは、なかなかしないと思うな。

音楽があって、そこに台詞が乗っちゃいけないわけじゃないし、体もフォルムも乗ってもいいだろうし、ただ風景だけであってもいいかもしれない。音楽だけでは済まされないっていうのは、大変なことです。

 

[柴]

近藤さんが振付と出演で入ってくれたのは、すごく良かったですね。言葉はリズムというか音程というか、フローみたいなのもあるけれども、ともすれば太鼓の達人みたいになっていってしまう。譜割りで決められた間尺で台詞を言っていこうとすると、本当にただの時間軸が流れてきているだけになってしまうんですね。どういう楽器が鳴っていて、どういうメロディーが流れてということを、無視しようと思えば無視できてしまう。そこに近藤さんは、「音が鳴って台詞を言う時に、体がそれっていうのは何か違和感がある」と言ってくれたりして。学生たちもそこは腑に落ちていて、面白かったです。

 

[近藤]

音楽に対して、ちょっと土足で入りすぎちゃう感じになっちゃうんだよね。自分が言いたいから、になってしまう。音圧も含めて押されるがまま引き出される場合もあるから、音に影響を受けているはずなんだけど。

 

[坂本]

確かに、聞きながら観ながら、音楽がそんなに聞こえなかったパートもありました。ちゃんと集中して台詞を聞いても、大抵は言葉より音に耳がいっちゃうんだけど、ふっと音楽が聞こえなくなって、あ、そういえばずっと鳴ってたなみたいな不思議な感覚がありました。きっと違和感がないからこそ、そう思えたんだろうな。

 

[加納]

今日は突然一番激しい最終章をご覧いただいて...

 

[柴]

本当ですね、いきなり25分ぶっ通しの第四楽章を(笑)

 

[坂本]

第九って、生きる喜びだったり、生命力、どんな災難の中でも生きていくってことが、曲自体のテーマとしてあるなと私は思っています。タイムリーというか、書かれた時よりも今、天災や自然災害もすごく多くなっていますよね。この夏もいろんなところで家が壊れて、ネパールでもこの間、家も村も消し去られてしまって。でもきっとまた再建して暮らしを立て直していく。ほんとにこのタイミングだからこそ、迫ってくるものがありますね。

 

[加納]

天災も人災も、規模が大きくなっちゃって。

 

[柴]

そう思いますね。

 

[近藤]

こればっかりは麻痺したくないからね。

 

[坂本]

若い、って言いたくないけど、俳優のみんなもそういうことを感じながら、希望に持っていこうというふうに導いているんですか?

 

[柴]

別にディスカッションとかはしていないんですけど、最初に稽古が始まった時とか、あと今日もちょっと話しました。

やっぱり震災のこととか、ウクライナのこととか、ガザのこととか。もちろんそれぞれ全然違うレイヤーの事情があってという話なんですけど、舞台上で人が崩れ落ちる様がシーンとしてある時に、やっぱり重なって見える。それをそのまま持ってくる必要はないんだけれども、この言葉たちはお客さんに何かを突きつけるような言葉だから、態度というものが何かある気がする、というようなことは伝えました。

初演の時はもう少し、震災のこと話し合ったりした気がするんですけど。だんだん歳が離れて、私が話そうよと言って話し合っても、あんまりそういうことじゃないなと今思っています。彼らが実際に何を考えてどうやっているかは、聞いてみないとわからない感じですね。でもそれぞれ事情がきっとあるだろうし、何も考えていないわけじゃなさそうだな、とはすごく感じます。

 

[坂本]

きっとSNSとかでも色々、目にはしているでしょうしね。

 

[柴]

そうですね。「結局正解はわからないけど、でも希望の火だけは絶やさない、という劇なんだと思う」ということも伝えましたね。私は演出家として、最後はそこに行く劇だと思っています。

@多摩美術大学 上野毛キャンパス オクルスホール

撮影:熊谷みら(『大工』制作部 学生チーフ)

◯ゲストプロフィール
坂本美雨(さかもと・みう)​

1980年生まれ。東京とニューヨークで育つ。1997年、「Ryuichi Sakamoto feat. Sister M」名義で歌手デビュー。

音楽活動のほか、TOKYO FM/JFN「ディアフレンズ」のパーソナリティ、NHK Eテレ「日曜美術館」の司会、執筆など幅広く活動。動物愛護やこどもの権利、パレスチナ・ガザへの人道支援にも継続的に取り組む。

映画『国宝』(2025年6月公開)の主題歌、原摩利彦「Luminance feat.井口理」では作詞を手がける。2026年6月、約5年ぶりとなるアルバム『Something True』をリリース。

坂本美雨オフィシャルサイト

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